憂鬱という言葉の意味をずぶ濡れで考える信号待ち

出勤時間を知らせるアラームが鳴る。どうやら世間は祝日らしいが、会社は日曜のみ休みなので普段の月曜と同じように、適当な服を見繕い、適当に歯を磨き、適当に顔を洗って家を出る。
細かな霧雨が中空を舞っている事に、スクーターに跨ってから気付いた。今更、雨合羽を羽織るのは面倒なのでそのままアクセルを回す。
路地から通りへ出る最初の信号機の前で、LEDが青に変わるのを待っている間、落ちてくる雨は強さを増し、適当に選んだグレーのスウェットパンツを雨粒が色濃く染めていった。

先週の月曜は、猫の様子を見に来た元妻に手を振り見送られ、久々に聞く「行ってらっしゃい」という言葉にむず痒い様な、寂しような、何とも形容し難い憂鬱な気持ちでの出勤であったが、土砂降りに変わった雨足の中、全身ずぶ濡れでスクーターに跨る今日は、先週とは全く違う憂鬱な出勤である。

憂鬱という言葉の意味が、よくわからなくなってきた。
一つの単語が一つの気持ちを表している訳ではないのだなと、ヘルメットに落ちる雨粒の激しいリズムに身を委ねながら改めて思う。

知人のアメリカ人と片言の英語で話しているとき、「緊張している」事を相手に伝えるために、「ナーバス」という単語を使った。
しかし、僕が普段感じている「ナーバス」という言葉の意味と、今僕が抱えている「緊張」はちょっと違うのだが、正確に気持ちが伝わっているのか不安になる。これは僕の英語の能力の低さによるものも大きいのかもしれないが、母国語である日本語でも僕が感じて口にした単語を、相手がどのような意味で理解するかを、こちらが完全にコントロールするのは本当に難しい事なのだ。

天気予報をちゃんと確認して、最初から雨合羽を羽織って家を出るだけで回避できたはずのこの全身の冷たさ。しかもよりによって選んだズボンがスウェットパンツという悪手で、太腿に重く張り付くコットン生地のたまらない不快感。世間様は連休という事で、普段はこの時間混み合うはずの丁字路に、たった独りシグナルを待ちながら、ずぶ濡れで物思いにふける月曜の朝。それが今抱えている憂鬱である。ほんの少しでも正確に伝われば嬉しい。

目の前の横断歩道の歩行者用信号が赤に変わってから一呼吸置いて、頭上のLEDに青い光が灯った。
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