彼女は羨ましいと言った

外には煙のような霧雨が舞っていた。
部屋のソファーでダラダラと過ごしていると、スマートフォンが小さく震える。音楽仲間からのグループLINE通知だった。
友人と呼べる人間が極端に少ない僕にとって、人間同士としてのコミュニケーションが取れる貴重な知人達である。

指紋認証で開いてみると仲間の一人が会社内の昇進試験に受かったという知らせだった。出会った当時20代だった彼女たちも、僕と同じように歳を重ね、話す内容も単純に音楽の話だけでなく、会社の事や家庭の事等が増えてきている。

彼女の投稿に対し「おめでとう」や「頑張ったね」等の労いの言葉が次々と投げ込まれている。僕も彼女が資格取得の為、必死に努力している姿を目にしたことがあるのでメッセージを送ってみた。それくらいの常識は持ち合わせているのだ。

「おめでとう(祝)
毎日、8時間仕事するフリして、8時間アニメ観て、8時間寝ている僕には考えられないよ。
尊敬です。」

期末試験前の中学生が言う「オレ、全然勉強してないわー」と同じ、僕なりの謙遜も含めた賞賛のつもりである。
自身が学生の頃は本当に勉強していなかったタイプであったし、メッセージも"8時間アニメ観ている"の部分は事実ではあるのだが。

この投稿に対して、彼女からは

「ありがとうございます!そしてその生活めっちゃ羨ましいです(笑)」

というリプライがあった。

「またそんなこと言って(笑)、貴方もいつも頑張ってるじゃないですか!」等という言葉を待っていたつもりは決して無い。無いつもりであったのだが、素直に羨ましいという言葉が返ってくるとは思ってはいなかった。
それほどまでに、自分は周囲に"ただの怠惰な人間"として認識されているのであろう。


僕だってそれなりに、この人生を頑張って生きているのだ。

ただ、"頑張る"という趣旨が、皆のように"頑張って動く"というものではなく、"頑張って耐える"という、不毛な土地で芽を吹いてしまった植物のような方向性というだけなのだ。
決して植物を蔑んでいるいるわけではなく、同じように自分自身の努力も蔑んでいない。
僕の頑張りがいつの日か花開く時が来る、そう自分自身を慰めつつ、近所のローソンへ煙草を買いに出かける。

先ほどよりも雨足は強くなり、アスファルトに跳ねる水しぶきが脛を濡らす。
家に傘が一本もない僕は、手のひらをかざして天を見上げた。そこにある、重たく暗い自分自身の未来を具現化したような雲に向かい、「ほら、僕だって頑張ってるだろ」と小声でつぶやいた。このままでは花など生涯咲かないと、心の奥底では痛いほど分かっている。

頬を伝うものが雨なのか涙なのかはわからない。
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