出来ないという事実が人を疲れさせる

貴重な休日の朝。
起きてすぐに確認した天気予報では降水確率40パーセント。
裸足のままベランダに出た僕はそこに干しっぱなしのカラカラに乾いた洗濯物をかき分け、空を見上げてみる。
5年前に完成した高層マンションによって以前の半分の大きさになった青空を見る限り、しばらくは雨が降る気配を感じなかったので、スケートボードパークへ行くことにした。

パークに到着してからたったの一時間で、僕の足は限界を感じ始めていた。別にいつもより足を駆使した訳ではない。
思い描いている理想的な滑りと、思い通りに動かせない身体とのギャップでまずは脳が先に疲れを覚える。
集中力を欠いた脳は考える事を放棄し溶け始め、頭蓋からドロリと流れ出る。重い鉛のような粘度を持った脳は重力に従って首から胸、腰から足へ絡みつきながら落ちてゆく。とうとう足が前へ出せなくなった。

足の疲れを訴えると、友人は「もう40歳だからね、仕方がないよ。」と笑ったが、きっとそうではない。

脳が感じた”出来ないという事実”が僕の身体を疲弊させているのだ。

「もうすぐ雨が降りそうだから」と自分自身へ向けての言い訳を口にしてパークを後にする。
今日も又”滑る事を諦めて”スクーターのハンドルを握った。



部屋に帰った僕はアニメを観ながら眠っていたようだ。時計を見ると18時。
耳を擽る雨音でベランダに目を向ける。5年前に完成した高層マンションによって以前の半分の大きさになった空をバックに、干しっぱなしのまま、ずぶ濡れになった洗濯物達が揺れていた。
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